この項目では、台湾の博物院について説明しています。北京にある博物院については「紫禁城」を、瀋陽にある博物院については「瀋陽故宮」をご覧ください。
国立故宮博物院
National Palace Museum
国立故宮博物院の空撮(2007年12月)
国立故宮博物院
各種表記
繁体字:國立故宮博物院
簡体字:国立故?博物院
?音:Gug?ng Bowuyuan
注音符号:??? ??? ??? ?? ???
発音:グーゴン ボーウーユエン
英文:National Palace Museum
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国立故宮博物院(こくりつこきゅうはくぶついん)は、台湾の台北市にある博物館である。この博物館は、台湾の国立博物館のうちの1つであり最大のものである。2011年5月現在の収蔵品は約68万点である(清朝が残した文物は全体の90%以上である)[1]。 故宮博物院は、1924年に北洋軍閥の一人である馮玉祥が愛新覚羅溥儀を紫禁城から退去させ、1925年10月10日に宮殿内で清朝が持っていた美術品などを一般公開したのが始まりである。 1925年当時の所蔵品点検レポートによると所蔵品総数は117万件を超えており、博物院は古物館、図書館、文献館を設けて各種文物の整理をする一方で、宮殿内に展示室を開設して多様な陳列を行っていた。 その後、満洲に駐留していた日本軍が華北地方に軍を派遣してきたため、?介石の国民政府(1948年以降は中華民国政府に改組)は博物院の所蔵品を戦火から守るべく重要文物を南方へ疎開させた。1933年2月から5月までの間に1万3,427箱と64包に及ぶ所蔵品がまず上海に運ばれ、その後1936年12月には南京市に国立北平故宮博物院南京分院保存庫に移動させた。 その後1937年に日本軍が南京に向けて進軍してきたために、所蔵品は再び運び出されて80箱が四川省の巴県に、9,331箱が楽山に、約7,287箱が峨眉の計3カ所に避難させられた[2]。 第二次世界大戦後、運び出された所蔵品は重慶を経て再び南京・北平に戻されたが、国共内戦が激化するにつれて、中華民国政府の形勢が不利になったため、1948年の秋より中華民国政府は国立北平故宮博物院から第一級の所蔵品を精選し、第1陣として772箱の文物が、1949年1月には第2陣として3,502箱の文物が、同月に第3陣として1,251箱の文物が台湾に運び出された[2]。 したがって、国立北平故宮博物院の所蔵品は、中華人民共和国北京市と中華民国台北市の2カ所に分かれて展示されている。これとは別に所蔵品の一部は、国共内戦後の中華人民共和国建国後の混乱のため、北京市に戻すことができず、現在も南京博物院の管轄下で南京市に保管されている。 台湾に運ばれた中華の至宝は、初め台中県霧峰郷北溝 台湾の国立故宮博物院は、台北市北部の士林区にあり、付近には高級住宅街が広がっている。この博物院には中華民国政府が台湾へと撤退する際に国立北平故宮博物院から精選して運び出された美術品が主に展示されており、その数が合計6万件冊。
沿革
中国大陸時代
所蔵品の台湾への移動
国立故宮博物院
施設
北部院区国立故宮博物院入口の門(牌坊)博物院前の狛犬